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震災・原子力災害

人々の記憶や想いを追体験 双葉町タウンストーリーツアー

2011年3月11日の地震・津波とそれに起因して発生した原子力災害の強制避難及び立入制限により、町の営みが止まってしまった双葉町。2020年3月に避難指示が一部解除されたことで一部の場所が立ち入り可能になり、町の営みが少しずつですが再開しています。
そんな双葉町を巡りながら、震災で起きたことや人々が大切にしてきた生活や土地の記憶を伝えることを通じて、この地域の過去や現在、そして未来を体験できるタウンストーリーツアーです。

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スポット1:双葉駅(あの日から再び動き出す町)

旅の出発点は、双葉駅。2020年3月14日に常磐線が全線再開したことで震災発生から9年止まっていた駅が動き出しました。
改札口が変わり、東西自由通路が新しく整備され、震災前に使われていた駅舎はコミュニティスペースとして生まれ変わり、訪れる方への情報提供や休憩スペースとなっています。

駅を出るとすぐに目に飛び込んでくるのは『FUTABA Art District』と書かれた壁面アート。これは震災前にここでバーを経営していた高崎丈さんが企画したもので、震災・避難後に東京で営業を再開されたJoe’s man2号店に偶然訪れたアート集団『OVER ALLs』代表の赤澤さんとスタートしたプロジェクトです。
FUTABA Art District:http://www.overalls.jp/cn1/futaba-top.html

 

スポット2:初発神社(町の再生を想う住民の結束)

壁面アートを超え、交差点を南に行くと右手に見えてくるのが『相馬妙見宮初発神社』です。
この神社は、この辺り一帯を治めていた相馬藩の殿様が領地のシンボルとして400年以上前に建てたとされるもので、双葉町長塚地区の神社として町民の手で守られてきました。
震災直後は社殿が傾き、倒れかかっていましたが、各地に避難する町民の手によって2019年11月30日に神社を再建。2020年11月28日に還御祭(神様をお社に還す式典)を執り行い、もともとの姿を取り戻すことができました。
神社は地域コミュニティの核であり、再建された社殿を眺めているとこの地域の結束の強さ、そして原子力災害に負けず、地域の営みを取り戻すという力強さを感じることができます。

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スポット3:商店街通り(古き良き町並みと文化)

双葉町は1951年に長塚村と新山村が合併してできた町で、南北に伸びる商店街通りは古くは相馬藩の宿場町(長塚宿)として栄えました。
震災前の人口は約6900人、面積は約51平方キロメートルと小さな町ですが、17の地区に分かれ、そのぞれぞれでお祭りや伝統文化が継承されており、土地固有の文化が深く残っているのも特徴です。この道すがらにある町民グラウンドでは、地区対抗の町民運動会が毎年開催され、地区の結束が試される催しが行われていました。
現在は、全国約40の都道府県に避難を余儀なくされていますが、その結束は今でも強く、避難先で町のコミュニティを維持し続けています。
この古き良き通りを通り人々の暮らしに想いを馳せていると、その再生を願う気持ちがこみ上げてきます。

 

スポット4:双葉町役場(震災・原子力災害による全町避難)

町の通る幹線道路『国道6号線』を渡ると左手に見えてくるのが双葉町役場。
東日本大震災が発災した直後、役場職員は避難所の開設や受け入れなどの災害対応にあたりました。しかし、津波が到達したことでその様相が一変します。原子力発電所立地町と東京電力には、通常時から原子炉の状況を報告するホットラインが存在しました。そのホットラインに原子炉が電源喪失し、状況が思わしくない様子が伝わってきます。

2011年3月12日早朝には、全町民への避難指示が出されました。住民避難が進む最中、原子炉建屋が水素爆発。最終的には、1,3,4号機で水素爆発、1,2,3号機でメルトダウンを起こし、2020年末現在も全町民避難が続く事態となりました。

 

スポット5:帰れぬ我が家(原子力災害が住民にもたらした影響)

強制避難とはどういうことか。それを感じることができるのが避難した当時のまま残る家屋。強制避難に直面した住民は、着の身着のままの状態で我が家を離れ、何年、何十年と積み上げてきた個々人の財産をそのままに、避難先でまた新たな財産を築いていく必要がありました。
何年もかけて積み重ねてきたものを一から積み重ねなくてはいけない苦労と苦痛。慣れ親しんだ家財が身の回りにない。愛着をもって集めていた品物や人生の節目を記録した思い出の品も持ち出せない。
強制避難とは、積み重ねてきた財産や思い出=人々のアイデンティティを喪失させました。これがなかなか伝わっていない原子力災害が人々にもたらした影響です。

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スポット6:産業交流センター(町再生と中間貯蔵施設との共存)

2021年3月で発災から10年になります。双葉町でも少しづつですが、地域再生の足音が聞こえ出しています。
沿岸部の中野地区。ここは町の復興拠点として整備され、企業誘致が進められており、20社以上の企業が立地する予定です。また、2020年9月には県立の東日本大震災・原子力災害伝承館、同年10月には双葉町産業交流センターがオープン。
産業交流センターには、双葉駅前にお店を構えていたローカルファーストフード店のペンギンや、浪江焼きそばを提供するせんだん亭、お土産品を販売するサンプラザがあり、訪れる人を迎えてくれ、町の再生を感じることができる場所になっています。


一方で、産業交流センター屋上から南手に、福島県内の汚染土壌を集中的・長期的に保管する中間貯蔵施設の一部を見ることができます。この施設は大熊町・双葉町にまたがる16平方キロメートルという広大な土地に建設され、現在、福島県各地から汚染土壌の搬入が進んでいます。
この施設があることで福島県全体の再生が進む一方で、この施設によってふるさとに帰れなくなった人々がいます。犠牲の上に地域の再生があることを伝え続けていくことが、この町で新たなまちづくりを進めて行くには重要です。
そして、この地域が持続可能性の高い地域に変わって行くために、私たちは挑戦し続けていきます。

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このツアーの運営者:一般社団法人双葉郡地域観光研究協会